我々の将来はどうなるのか?
7月25日公開の「成長前提の社会保障はもう持たない―マルサス型世界の到来に備えよ」で「持続可能性に乏しい『国営年金・保険システム』」の暗い未来について述べた。
また、7月31日公開の「インフレ到来で金融大逆転が起こる…!?『金融ベンチャー』が瓦解し『銀行』が復権する」では、インフレに伴ってやってくるであろう金利上昇によって国家の借金の利払いが膨れ上がり、パンデミック対策のバラまきを含む大盤振る舞いのつけを払う可能性を論じた。
もし、年金や保険などの社会保障が破綻した場合でも、日本国憲法の規定によって、国民には「健康で文化的な最低限度の生活」を営む権利がある。
しかし、例えば年金が受け取れなくなった場合のセーフティー・ネットともいえる「生活保護」も、結局は国家財政という「国民の税金と国民などからの借金(国債など)の集合体」で賄われる。だから、国家財政が破綻あるいは困難な状況に陥った場合、必要とする国民がすべて受給できるかどうかも怪しい。
そもそも、国民年金の受取金額は、生活保護の受給額よりもはるかに低い。生活保護受給金額は、「国民の健康的で文化的な生活の最低水準を維持できるように」考慮されている。つまり、国民年金だけで生活している人はすべて「健康的で文化的な生活の最低水準」を維持するために生活保護を受けとる資格があるといえるのだ。
また、厚生年金の受給水準はまちまちだが、低い方の受給額を考えると生活保護との差は微妙だ。現在では、20歳ごろから働き始め70歳くらいまで定年が延長される場合があるのを想定している。多額の保険料を半世紀近くにわたって支払い続けてきた結果としてはあまりにも悲しい……
一方で、憲法に定められる「日本国民」ではない外国人に対する生活保護の支給が最高裁で「違憲」であるとの判断がなされているにもかかわらず、いまだに行われているようだ。
「日本国民」の「最後の…最後の…セーフティー・ネット」である生活保護を持続することが「財政」問題、さらには「年金」問題(年金額が少ないため生活保護受給者が急増する可能性がある)で危うくなっている現在、政府や地方自治体の認識の甘さの象徴だといえよう。
年金、保険、さらには財政の話というのは、金額の単位が大きいため実感が湧かない部分が大きい。しかし、実のところ我々国民の日々の生活に直結するきわめて身近な問題だといえる。
からの記事と詳細 ( 金利が上がれば日本も米国も「財政」が破綻する、その先に何が? - 現代ビジネス )
https://ift.tt/3C6ODNX
No comments:
Post a Comment