日本航空は4月23日に羽田空港で、ウイルス不活性化コーティングの施工に関する報道公開を実施した。COVID-19について感染終息の兆しが見えない昨今、ことに旅行好きの読者の皆さんにとって、関心が深そうなテーマではないだろうか。そこで本連載の視点から、この件を取り上げてみたい。
どんなコーティング?
JALはこれまで、夜間の駐機中に機内の消毒を実施していた。これは出発時の機内アナウンスで毎回繰り返されていることだから、ご存じの方も多いだろう。ただ、手間がかかる作業であり、それを何回も繰り返すのだから、作業負荷は相当なものだろうと推察できる。
JALは2020年の4月頃から、機内を対象とする抗ウイルス・抗菌コーティングを実現しようとして、動き出していた。実際にコーティングの作業がスタートしたのは2021年の4月からで、4月23日の報道公開に際して作業対象になった機体はJA659J(ボーイング767-300ER)だった。なお、最初に実施した機体も767-300ERだった由。
JALが採用したコーティング剤は、中村・フクイヤ社の「ダイヤモンドマジィックD-VII」というものだ。これを機内の各所に吹き付けると、コーティング剤が表面に “塗られた” 状態になる。このコーティング剤には、触媒の作用によってウイルスを不活性化する機能があり、効果は3~5年ほど持続する。
さて。コーティング作業の実現までに1年もかかったわけだが、「どうしてそんなに時間がかかったの?」という疑問が出てきても無理はないだろう。
実施までに1年を要した理由
機体の内装品に対して、設計当初は想定していなかったものをコーティングするわけだから、それによって内装品の素材に悪影響が及ぶようなことがあっては困る。また、航空機の内装品は火災に対する配慮もなされているが、コーティング剤が真っ先に燃え始めるようなことがあっては具合が悪い。
そして、腰掛の座面や背ずり、シートベルト、テーブルといった部位にコーティングするとなると、耐久性も問題になる。あまり耐久性がないのでは、頻繁な再施工が必要になって、何のためのコーティングか分からなくなる。実際、海外のエアラインがすでに採用している同種コーティングの中には、耐久性があまり良くないものもあるという。
耐久性に優れたコーティングであっても、いずれははがれたり擦り減ったりして、再施工が必要になるのは致し方ない。ただ、どの程度の耐久性があるかどうかを確認できないと、どれぐらいのスパンで再施工すれば良いかの判断ができない。
こうした要件や課題を満たせる製品を探して選定した上で、検証試験を実施して「これならいける」との判断を下すには、相応の時間がかかる。しかも、コーティング実施に際して抗菌製品技術協議会(SIAA : Society of International sustaining growth for Antimicrobial Articles)の認証を取得したため、SIAAの定めに則って、性能と安全性に関する確認をとる必要もあった。
これが、コーティング作業を始めるまでに時間がかかった理由である。
作業対象部位
コーティングの対象は、基本的に「乗客や乗務員が触れる場所」である。乗客が接する部位としては、腰掛の座面と背ずり、テーブルの裏表、シートベルトの裏表、荷物棚、ラバトリーの諸設備などがある。一方、乗務員が接する部位としては、ギャレー設備やジャンプシート、ドアハンドルなどがある。
乗客や乗務員が接する場所に漏れなくコーティング剤を吹き付けていくのは、手間のかかる作業だ。決してスペースに余裕があるとはいえない機内で、しかも通路には作業用のホース(吹きつけ用の圧縮空気を送るためのものと思われる)がはい回っている。
おまけに、席数は取材対象機の場合で261席もある(普通席が219席、クラスJが42席)。それをひとつずつやっていく上に、枕カバーやシートベルトはいちいちめくって、隠れた部分も作業するのだから大変だ。
取材対象になった767-300ERの場合、4人で4時間ほどかかるという。さらに大きい777やA350なら、人手か時間、あるいはその両方が増えるだろう。もっとも、通路が2本あるワイドボディ機よりも737みたいな単通路機の方が、作業者の動線が交錯して大変かもしれない。
なお、日本航空の機体は7月までにすべて作業を終える計画だという。日本エアコミューターと北海道エアシステムの機体も、年内には完了の予定。
現場の工夫と、767に特有の課題
実際に作業を実施する様子を見ていると、最初はテーブルをすべて展開した状態になっていた。そして、コーティング剤の吹き付けを行い、作業が済んだ席ではテーブルが畳まれていたようだ。なるほどこうすれば、テーブルの開閉状態によって作業漏れの有無を一目で確認できる。
ただ、こうした作業手順は現場に判断を任せているという。作業指示を出す側は、「どこが対象です」というところだけ明確にする。あとは現場の工夫により、確実に、かつ効率の良い方法で、という進め方になっている。
実際、作業の様子を見ていると、現場の工夫が垣間見えた。たとえば、コーティング剤が付着しては困る部位をカバーするために、手作りのカバー(しかるべきサイズに切った段ボールに取っ手をつけたもの)を使う工夫がなされていた。
作業を見ているうちに、「腰掛やラバトリーやギャレーは分かるが、ドアはどうするのだろう?」と気になった。というのは、取材対象機は767で、この機体はドアの開き方に特徴がある。普通なら機内あるいは機外にドアを振り出す形で開くが、767のそれは上方引き込み式だ。これでは、開いたドアは上方に引っ込んで隠れてしまう。
そこで「ドアはどうするんですか?」と質問していたら、その会話をしている横でL1ドアが半分ほど閉められて、内張にコーティング剤を吹き付ける作業が始まった。
よくよく考えれば、満員電車とは話が違うのであって、ドアに身体が押しつけられるようなことは起こらない。接触といっても、開閉の際にハンドルを操作するぐらいで、そこはもちろん作業対象。そして、開いたドアは頭上に引き込まれるのだから、身体に触れようがない。納得である。
他のエアラインや鉄道事業者でも、ウイルス対策のコーティングを施工する事例が増えている。こうした作業によって、利用者の安心感を高めようという努力を進めてくれているのはありがたいことだ。いたずらに「公共交通機関は危ない」などとあおるべきではないだろう。
著者プロフィール
井上孝司
鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野で、技術分野を中心とする著述活動を展開中のテクニカルライター。
マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。『戦うコンピュータ(V)3』(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて『軍事研究』『丸』『Jwings』『航空ファン』『世界の艦船』『新幹線EX』などにも寄稿している。
からの記事と詳細 ( JAL機内のウイルス不活性化コーティングの現場を取材 - 航空機の技術とメカニズムの裏側(274) - マイナビニュース )
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