ロシアがウクライナに侵攻を開始して約五カ月がたつ。ビルの壁に開いた砲弾の穴、道に横たわる死体の(モザイク越しの)映像に恐怖するが、戦争というのは持続するものなので、ずっと戦慄(せんりつ)し続けることができない。どうしても日々の暮らしに忙殺され、戦争に向き合う気持ちもまぎれてしまう。
今回紹介する二作はどちらも――たまたまだが――旧ソ連を巡る冷戦ものだ。面白い漫画を啓蒙(けいもう)したいと常々思っている身ゆえ、タイムリー、とつい不謹慎に思ってしまった。どちらも連載開始は昨年以前で、現実にあてこんだ安易なものでないのは言うまでもない。
辺見じゅんのノンフィクションを河井克夫が漫画化した『ラーゲリ 収容所から来た遺書』は、シベリア抑留の凄惨(せいさん)さを、乾いたタッチで淡々と描いてみせる。
日本の敗戦後、ソ連の収容所(ラーゲリ)で過酷な労働を強いられる元日本兵たちだったが、勉強会を開き、文芸誌をこっそり作って回覧し、セメント袋を短冊に俳句を作る。日本の家族と遠く引き離され、いつ帰国できるか、そもそも帰国可能か分からない絶望的な環境で、彼らはとにかく「文化」を保持しつづけようとした。
陰鬱(いんうつ)な顔の男たちを句会なんかに誘う山本幡男(はたお)元一等兵が、一番暗い顔をしている。常に物静かな様子で、瓶底眼鏡の奥の瞳が描かれない。ときに不穏なムードさえ醸し出すのだが、事故死した仲間の祭壇をソ連兵に荒らされたとたん、猛然と食ってかかってみせる。作中の仲間たちと読者と、同じ速度で山本を理解し、尊敬するように描いてある。スターリンが亡くなり徐々に帰国が叶(かな)いそうな政情の中、無念にも癌(がん)に倒れてしまった山本のため、仲間たちは彼の家族宛ての遺書を分担し、暗記する(紙に書き残すと重罪なので)。もう、涙なくして読めないのだが最後まで過剰な演出はなく、どこまでも静かな描線、抑えた表現に徹しており、そのことが「そもそもの抑留の恐ろしさ」を炙(あぶ)りだしている。
もう一作。『国境のエミーリャ』は完全なフィクション。第二次大戦後、ソ連に東日本を占領され、分断された日本という設定で、不自由な東から、西日本への脱走を請け負う少女エミーリャの戦いを描く。
ほぼ一話完結でほぼ毎回「亡命」が描かれるから、常にスリリングでエモーショナル。さまざまなアイデアで窮地を切り抜けるエミーリャの不機嫌な表情に、だんだんと引き込まれていく。
『ラーゲリ』と逆に、こっちの描線はシリアスな劇に一見そぐわないかわいらしいもので、読み心地が明らかに柔らかくなっている。過酷な目にあい続けるエミーリャに、描き方でもって作者が優しさを発揮してくれているようにもみえる。
フィクションではあるが、実在の都市や昔の軽井沢のアプト式鉄道などが登場して「空想のノスタルジー」とでもいうべき不思議な感覚を味わうこともできる。
繰り返すが、現実の戦争と、漫画作品との間に直接の関係はない。しかし、現実の日本はどうなるだろう。二作とも、戦争がもたらす不条理な抑圧を描こうという動機は奇麗に揃(そろ)っている。不安な予感の表れとも受け取れるが。(ぶるぼん・こばやし=コラムニスト)
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