『チョコレートで読み解く世界史』(増田ユリヤ/ポプラ社)第3回【全5回】ヨーロッパとキリスト教の歴史から、今の世界情勢が見えてくる! マヤのバカル王にとって長寿の秘訣だった“カカオドリンク”、チョコレートが人気ゆえに続いた100年の論争、そしてチョコレートも工場で作られるようになった産業革命。他にも“18世紀のインフルエンサー”とも言えるマリ・アントワネットにとってのチョコレートの役割など、様々な切り口で歴史と宗教を学べる一冊です。“チョコレート”というちょっと変わった視点から歴史を学び直す『チョコレートで読み解く世界史』をお楽しみください!
バスク地方に残るチョコレート文化
チョコレートの本を書くことになって、私が最初の取材先に選んだのが、フランスのバスク地方でした。迫害されたユダヤ人がヨーロッパにチョコレートをもたらした、ということを知り、歴史をたどりたくなったのです。
現在は、ユダヤ人の方が経営するお店は残っていないそうですが、「大航海時代」にヨーロッパにもたらされたものやチョコレート文化が発展してきたことを肌で感じることができる場所やお店がいくつもありました。
パリから飛行機で1時間ほど。さらに車を小一時間走らせて、最初に訪れたのがエスペレット村。別名「赤ピーマンの村」とも言われています。
私が訪れたのは、3月の末。緑豊かな山々を望む村には、日差しがたっぷりと降りそそいでいました。小さな村の建物は、赤い屋根に白い壁で統一されています。そして壁の一面に、紐でくくられた赤ピーマンがすだれのように干してありました。そうなんです! この村の名産品のひとつは、赤ピーマン。
なぜだか、わかりますか。ヒントは「コロンブスの交換」。17世紀のころ、海に近いバスク地方で盛んだった生業のひとつが、捕鯨でした。鯨を求めて航海に出るうちに、香辛料や野菜の種や苗などが持ち帰られ、それらの栽培が定着していったのです。
赤ピーマンもそのひとつ。毎年秋口に収穫された赤ピーマンを干しているうちに、この光景が町のシンボルになったとか。小さな村には、砂糖や香辛料などを売るお店もあって、「大航海時代」の名残を感じることができます。赤ピーマンを粉末にしたり、オイル漬けにしたりして加工したものを売るお店、赤ピーマンをプリントした生地で作った小物を売るお店などもあり、歩くだけで楽しめる村です。
この村の老舗アントン(Antton)というチョコレート店で取材させてもらいました。一般の人でも予約をすれば、店の奥にあるチョコレート工場の見学もできます。店頭には、粉末にした赤ピーマンや香辛料をチョコレートに混ぜ込んだ、この村ならではの商品がありました。一口食べて少しすると、辛さが舌にしみてきますが、なかなかクセになる味でした。このあとにもご紹介していきますが、チョコレートはさまざまな素材との組み合わせが可能な食べ物です。カカオの魅力、恐るべしですね。
ショコラティエ―ルと「口ひげのカップ」
次に訪れたのが、海辺の町ビアリッツです。店が立ち並ぶ通りを歩いていると、数軒に一軒はチョコレートのお店。なぜ、こんなにお店があるの? と驚いたほどです。
ビアリッツはリゾート地といった雰囲気ですが、そこからほど近いバイヨンヌは、観光の中心地。レストランや土産物店、バスク地方の文化を紹介する博物館もあります。バイヨンヌには、ビアリッツ以上にたくさんのチョコレートのお店がありました。
中でも私が感激したのが、プヨデバ(PUYODEBAT)というチョコレート店。チョコレートを販売するほか、サロン(ティールーム)が併設されているのですが、サロンにはきらびやかなカップ&ソーサーと、ホットチョコレートを泡立てるためのショコラティエールというポットのコレクションが所せましと並べられていました。
チョコレートは、スペインに入ってきてから、砂糖や香辛料を加え、温めて飲む調理法が考案されました。さらに味をよくするために、泡立てることも行われるようになりました。泡立てるとなめらかでふんわり口当たりがよくなり、苦味が緩和されるんですね。ショコラティエールの蓋には穴が開いています。ポットの中に木製の攪拌棒(モリニーリョ)を入れ、蓋をして棒を回して泡立てます。
そして、カップの飲み口は3分の1くらい塞がっていて、穴が開いています。このカップの名前は、フランス語でLa Tasse à Moustache 「口ひげのカップ」と言います。どうしてこんなカップが生まれたのでしょうか。
チョコレートは、滋養強壮に役立つ飲み物と考えられていたので、兵士たちにも好んで飲まれました。当時は男性たちの間で口ひげを生やすのが流行っていて、特に兵士たちは口ひげを生やすのが決まりで、ワックスで固めていました。そのため、普通のカップだとチョコレートがひげについてしまい、ワックスがカップの中に溶けだす心配があったんですね。そこで考え出されたのが、この口ひげのカップでした。考案されたのは、1860年代のイギリスで、ハービー・アダムズという人によると言われています。
私もこのサロンで、口ひげのカップにショコラティエールで泡立てたホットチョコレートを注いでもらって飲みました。ひげがあろうとなかろうと、口のまわりにチョコレートがつかないので、とても快適に美味しく飲めましたよ。
今では、この口ひげのカップもショコラティエールも、蚤の市に行ってもなかなか見つからない貴重なものですが、取材のさなか、手に入れることができました。両方とも、フランスの食器の有名ブランド、リモージュ製のもので、ショコラティエールはパリのチョコレート店で偶然手に入れたのですが、口ひげのカップの方は、なんとメルカリ(!)の掘り出し物です。ショコラティエールもカップもわが家の家宝として大切にしまってあります。
口ひげを生やすことは、第一次世界大戦が終わったあとには時代遅れとなり、口ひげのカップの生産も行われなくなってしまいました。ですから、こちらのお店にあるコレクションは、貴重なものばかり! 器からも歴史をたどることができるなんて、チョコレートは奥が深いですね。
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